3/3

「忘却の彼方」

たまに過去を振り返る機会があるのですが、その度に思うのは過去にあった人間関係や現在も関係が続いている人達の事です。

その頃の自分がどうだったと言うのはどうでもよくて、過去にその人と自分とが何をしていてどのような関係にあったのか、そんな事を思い出します。

過去を振り返っている時に惜しいなと思うのは、初めて会った時の事を覚えていない場合です。どうして惜しいと思うのかといえば、初めて会ったその状況自体を覚えていないし、初めて会ったその時に自分が何を思っていたのかが分からないからです。

今のその人に対する思いと、初めてその人に会った時の思いは多かれ少なかれ違うはずです。今と昔との考えの違いは過去を振り返っている時に面白いと感じるものだと思うのですが、その面白さがないわけです。

もし過去に遡る事が出来たなら、今は忘れてしまっているその人と初めて会った所を見てみたいものです。



今日の問題

大蒜(にんにく


3/5

「日記をつけてみる」

昨日酒を飲んで来たのですが、酒の席で色々と面白い話を聞けたので、その事を端的にでもいいから書き留めておこうかなと思いました。

それで書き留めるために一時期日記を書いていたノートを見たら、日付が去年の5月になっていて、ここまでずっと書いていなかったのかと驚きました。ずっと放っておいたから当然の結果なのですけどね。

とりあえずその日に合った事を端的に書いておくだけでも、後で振り返った時に色々と思い出す事が出来て面白いと思うので、また日記をつけていこうかなと思っています。ただ、日記というのは付けるのが結構面倒で、その面倒くささが先に来てしまい、つい日記をつけなくなってしまうのですけどね。



今日の問題

人参(にんじん


3/6

「理性は大事」

お酒を飲んでる状態ながら、酒は理性を敢えて飛ばすために存在しているものではないのかなと思います。今なら、酒の席だからこそ言えることがあるというのが良く分かります。

こんな文章を書いている私は本格的な酔っ払いです。どのくらい本格的なのかといえば、キーボードを叩く指の感覚が普段と違うと感じるぐらいです。これだけで分からなければ、世界が回るような感じがすると言えば分かるでしょうか。体は酔っているけど、精神的には酔っていないとでも言いましょうか、そんな感じです。

それにしても、酔っている時に敢えて更新しようとする精神は一体何なのでしょうか。自分でも困ります。



今日の問題

葱(ねぎ


3/6(その2)

「お酒は怖い」

理性が吹っ飛びそうな飲みっぷりをしていたにも関わらず、どうにか理性を維持できてるあたり、相当強固な理性なのだなと自分の事ながら感心します。そんな事とはまるで関係がないのですが、事あるごとに更新のことを考えているわけではない私は、サイト運営にこれでもかというほどにのめり込んでないという事なのでしょうか。


3/6(その3)

「お酒は怖い(その2)」

酒の席で得られるものとして挙げられるのは、普段とまるで違うその人が出てくる事です。普段は大人しい人が急に荒れている人になってみたり、普段明るい人が急に暗くなってみたり、普段暗い人が急に明るくなってみたりとまあ色々です。ひとつ言える事は酔う事によって、その人の普段とは違う面を見られるということでしょうか。

それは例えどんな面であったとしても、良くも悪くも”面白い”のではないかと思います。


3/6(その4)

「酒について」

酒に強い人と弱い人と居ますが、果たしてどっちの方が良いのでしょうか。

酒に強い人は、一度に色々な酒を飲む事が出来て、酒の味に関してはその経験の幅を広げられるかと思います。ただ、酒に強いがゆえになかなか酔う事ができず、酔っ払った時の感覚を味わう事はできません。

酒に弱い人は、多少のお酒にすぐ酔う事が出来て、その酔った感覚を楽しむのであればお酒に弱い人ほど得な事はないかと思います。その一方ですぐに酔ってしまうがために、一度に多量のお酒を飲む事が出来ず、なかなか酒の味に関して知る事ができません。

個人的に、酒に強い人は「凄いなー」という感じで見られ、酒に弱い人は「ダメだなー」という感じで見られているような気がしますが、そもそも酒の強い弱いで差なんてないのではないかと、そんな風に思います。


3/6(その5)

「更新の手が止まらない」

酒は飲んでも呑まれるな なんて言葉がありますが、今の私は多分酒に呑まれています。しかし、この呑まれる呑まれないにしても、最終的に選択するのは自分だと思うのですがいかがでしょうか。人の理性はそう簡単になくなるものではなくて、それをなくそうとするかしないかの違いではないかと思います。

だから、どれだけ酔っていようとも理性を維持しようと思えば出来ない事はないと思います。

…若干話はそれるのですが、初めて酔っ払った時に、それは本当に酔っていたのか、酔っている事にかこつけて色々と普段は言わないような事を言っていたのか、どっちだったかのか良く分からないと考えていたりしていました。初めて酔っ払ったその時からそんなことを考えている私は一体なんなのでしょうか。


3/6(その6)

「恐るべきお酒の力」

普段なら、今更新している一回分が一日分という感じなのですが、今回は一日で何度となく更新しているわけです。しかも更新内容は今の所、お酒に関してばかりなのです。

たまにはこういう事をしてみてもいいかと思わせられるのだから、お酒の力は怖いものです。

実際問題、今日のこれまでの更新は1時間経つか経たないかで、全ての文章が書かれていますからね。


3/6(その7)

「純粋だとか純真だとか」

子供の頃は純粋だったのが、大人になるにつれて段々とその心が失われていくなんて事が言われたりしますが、純粋な心って何なのだろうと思います。年齢を重ねていけば知識もそれなりに増えていきますし、知識が増えた分、当然の事ながらそれまで考えていた事とは違う事を考えたりもするわけです。

もし純粋な心いうのが、何も嫌な面を知らずに綺麗な面だけしか知らない状態なのであれば、それは単に知らないだけで純粋と言うわけではないような気がします。

純粋な心と言うのがあるとするなら、嫌な面を知ってもなお、綺麗な面だけを貫き通そうとする心なのではないかと思います。酔っ払いの戯れ言なので、気になさらずに。


3/6(その8)

「文章を書くということ」

以前、その時の感情に任せてここの更新をしようとしたのですが、ありのままの感情を文章に書くことは出来ませんでした。

どうしてかと言うと、感情のままに書こうとしているにも関わらず、更新作業をしていると少しでも文の形を整えようとしている自分が居たからです。

文章構成なんてのは関係なしに書くはずだったのですが、文章を書いている自分は物凄く冷静で、言い回しを変えた方が良いんではないだろうかとか、文章の書き方はこうした方が良いんではないだろうか、などと色々と考えているわけです。

それで文章を書いていくうちに、段々と感情が抑えられていったのには何ともまあ不思議な感じして仕方ありませんでした。どうしようもなく感情が抑えられない場合は、その思いを文字にすると落ち着くのかもしれません。


3/6(その9)

「存在意義」

生きている意味を見出すのではなくて、生きている理由(目的)を見出すと良いと思います。


3/6(その10)

「自己満足」

以前は自己満足は悪いものではないかと、漠然とした思いながら、無条件にそう思っていました。だけど、考えてみれば自分が満足する事自体は何ら悪い事ではなくて、自分が満足するために誰かに迷惑をかける事が悪い事なのではないかと思います。


3/6(その11)

「同じという事と違うという事」

もし、世の中自分と同じような考えを持っている人だらけだったなら、それは心地が良いものなのかもしれない。しかし、その世界に面白さはまるでない。


3/6(その12)

「酔いがおさまってきた」

どんなに頑張ったとしても、憧れの人になれるわけではない。どんなに頑張ったとしても、別の誰かの立場に立てるわけではない。どこまで行っても、自分は自分で他の誰かにはなれない。他の誰かも自分にはなれない。

例え自分が嫌いだとしても、自分の事をないがしろにするべきではないと思う。


3/6(その13)

「難しい所」

人の意見を聞いているだけでは、自分がないと言われる。自分の意見を言うだけではわがままと言われる。

自分の意見を主張しつつ、人の意見も取り入れる。この匙加減が難しい。


3/6(その14)

「希薄化」

一日で何度も更新するというのは、一見するとサイトを見ている人からすれば更新されている量が増えているから読みがいがあり、良いのかもしれません。

しかし、不思議なもので余りにも量が多すぎると今度は読む気がなくなってきたり、読んだとしても1度の更新に対しての価値が下がってしまったりします。

普段1度の更新に対して見出している価値を100だとします。例えば10回連続で更新したとして、これが100×10=1000だけの価値を読者に与えるかと言うと、そういうわけではないのです。連続更新で見ている人が100を超える価値を見出したととしても、その程度はほどほどのものでしかないような気がします。

こうなると、一度に沢山更新するのが良いのか良くないのか、どっちのなのか分からなくなってくるのです。もっとも、読んでいる人がどれだけの価値を見出そうとも、書いている本人が良いのなら一向に問題はないのですけどね。ただ、書いている本人が苦労して連続更新していたいたりすると大変なわけです。


3/6(その15)

「哲学的な問いかけ」

あなたは一体何のために生きているのですか?

答え そもそも何かのために生きているわけではありません。


3/6(その16)

「哲学的な問いかけ(その2)」

あなたはどうして生まれて来たのですか?

答え 生まれてくる事に選択権はありません。言うなれば生まれさせられたのです。


3/6(その17)

「求めるもの」

人が求めるのは不老不死ではなくて、老いはせずにいつでも好きな時に死ねる事である。


3/6(その18)

「心中察せず」

どれだけその人の立場にたってその人のためになる事を考えたとしても、それはその人の立場たった”つもり”で、その人のためになる事を考えた”つもり”でしかない。自分がその人の事を思ってやった事でも、その人が必ずしもそれを望んでいるとは限らない。


3/6(その19)

「格言めいてきた」

見返りは求めるな。見返りは結果として貰えるものである。


3/6(その20)

「格言めいてきた(その2)」

何かを否定する事は簡単である。しかし何かを肯定する事は難しい。


3/8

「ボウリングの記録をまとめ終える」

2月の終わりに書いたような気がしますが、ボウリングのスコアに関しての記録を入力しおえました。何でまとめようと思ったのかと言うのは、スコアを入力すると色々と分析してくれるソフトをみつけたからです。

ゲーム数は341あって、今日までに140ゲーム分まとめてあり、今日は200ぐらい一気にまとめて割と死にそうになりました。4〜5時間はかかったと思います。

それで、341ゲーム(右投げ含む)のアベレージが算出されたのですが139らしいです。高いのか低いのか分かりませんが、このような数字が出てきました。最高スコアは221で最低スコアは56でした。

全てのスコアを入力し終えて色々と見ていた所、ある事実が判明しました。第一投目でもっとも倒す確率の低かったのがヘッドピンでした。ぎゃー。

これはつまり簡単に言えばダメじゃんと言うことです、はい。

……え、えーと、ボウリングの腕が上達するように精進したいと思います。



今日の問題

塵(ちり


3/9

「ハイスコア更新」

今日、ボウリングをしてきたのですが2ゲーム目が何やら調子が良くて、結果を見てみたらハイスコアを更新していました。

何だか調子が良いなーと思いつつ、淡々と投げていたら結果としてハイスコアになっていたので、気負いだとか緊張感だとかそういうものが一切ありませんでした。

いくつ出たのかと言うと242です。

これでようやくマイボールに変えてからの結果が出せたかなと思います。



今日の問題

鋏(はさみ


3/11

「理由は必要なのか」

サイトを開く事に理由は必要なのだろうか。

サイトを続ける事に理由は必要なのだろうか。

サイトを閉じる事に理由は必要なのだろうか。

…などと、ふと思いました。



今日の問題

蝸牛(かたつむり


3/13

「書くということ」

以前、ここに書く文章でその時の感情そのままに書こうとしていたことがあったのですが、面白かったのは文章を書いていたその時のことです。

感情そのままに書こうとしていたにも関わらず、いざ書いてみると普段と何ら変わらず文章の手直しを行なっているのです。言い回しはこう変えた方が良いなだとか、どういう風に書けばより良く伝わるのかだとか考えていたのです。

感情的な文章を書こうとしている自分と、普段通りに文章を書こうとしている自分の差が何だか面白くて急速に冷静になっていったのを覚えています。

文章を書くことにはこんな効果もあるのかと思わされました。どうしようもなく感情のおさまりがつかない時や、頭の中がこんがらがった時なんかに文章を書くと良いのかもしれません。



今日の問題

篤志家(とくしか


3/15

「何かが舞い降りた」

「企画」の文章を考えいた時のことなのですが、いつものごとくああでもないこうでもないと悩みながら書いていたのです。悩みながら書くというのは結構大変なことで、思ったように文章が進まずに時間だけがただただ過ぎていったりします。

今回は「親友」という題の文章を書いていて、なかなか思うように文を書けずにいました。しかし、散々考え悩んだ末に自分なりの考えがぽっと頭の中に出てきた瞬間、それまで進まなかった文章が嘘のように進んでいったのです。

これは本人もびっくりするぐらいで、それまで一行書くのにも苦戦していたものが次から次に言葉が頭の中に出てきて、文章を書く手が止まるなんて信じられないといった感じでした。

こういった事は「文章」を書いている時にも経験したことがあり、こういった状態になった時の文章は自分の中で物凄く上出来な文章に感じて、書き終えた後非常に満足感があります。

久しぶりに経験したのですが、今回はその時に書いた文章の内容があちこちに飛んでしまっていて、後になってそれを整理するのがいつもに比べて大変でした。

そんなわけで、企画「親友」を載せました。



今日の問題

九十九(つくも


3/16

「なくしたもの」

以前、郵便局の通帳とカードをなくし、その後更に銀行のカードをなくすなどという中々ないような事をやってのけたのですが、今になってそれら全てが出てきました。

どうやらなくしていたのは、カードなんかをしまった場所の記憶のようです。

_l ̄l○



今日の問題

如月(きさらぎ


3/27

「忘れたもの」

更新することだとか、サイトの存在だとか。



今日の問題

師走(しわす


3/27(その2)

「アクセス0」

更新をしないと当然の事ながら見に来る人は少なくなるわけですが、昨日、久しぶりにアクセス0を見ました。

毎日更新していればアクセス数が増えるのかといえばそうでもなくて、更新頻度が高かい時でも大してアクセス数が増える事はありませんでした。

また、唐突に連続更新した所でアクセス数が増えるわけでもなく、それまでと変わらないかもしくは少なかったのではないかと思うぐらいでした。

更新頻度が高ければ確かにアクセス数は増えるのかもしれませんが、アクセス数が増えるのにはそれ以外の要因もあると思います。

いつの頃だったか、特別何かをしたわけではないのに、毎日のアクセスがそれまでの数と違い増えていた時期があります。

どこかからリンクがはられていたわけでもなく、いつも見てくださっているであろう人達が集まったとでも言うのでしょうか、そんな感じでアクセス数の増えていた時期がありました。

何もしていないのにアクセス数が増えるという妙なことを経験したものですから、アクセス数が増えるのにはその時々の「間」と言うものがあるような気がします。


3/27(その3)

「間」

「間」に関しての話ですが、例えば同じ連中が集まって同じ場所で同じように飲み会をやったとしてもその時々の雰囲気は違うわけです。ある時はものすごく楽しいものになるかもしれませんし、またある時はものすごくつまらないものになるかもしれません。

その時の雰囲気とでも言いますか、同じ連中が集まって同じ事をしているにも関わらず、その時々によって違うように感じるわけですから不思議なものです。

その時々によって違うのですから、楽しい時は思いっきり楽しむと良いと思います。次に機会があっても同じように楽しくなるかどうかは分からないのですからね。


3/28

「その時々の決断」

普段あまり意識することはありませんが、考えてみると日々その時々によって何かしら「決断」をしています。

それは例えば友人から出かけないかと誘われた時、誘いを断ることも出来ますし、誘いを受けることも出来ます。

出かける誘いを受けたとして、「他の人も呼ぼうか」という話になった時に、誘ってきた相手とだけ出かけることもできますし、他の友人を誘い共に出かけることもできるわけです。

他の友人を誘ったとして、「じゃあ誰を呼ぼうか」という話になった時に、親しい人を全員誘うこともできれば、何人か絞って誘うこともできるわけです。

何人かを誘って、その人達で出かけたとしましょう。友人に出かけないかと誘われてから実際に出かけるに至るまで一体何度の「決断」があったでしょうか。

このようにして些細な「決断」の繰り返しが日常で、そして些細な「決断」によって、その後に影響してくるのです。

だから普段意識しない些細な「決断」をちょっと意識して、自分にとって良いように持っていこうとするといいかもしれません。



今日の問題

設楽(しだら


3/29

「自分にとって良いように」

今になってみると、自分にとって良いように行動して良かったなと思うことがあります。

今はちょくちょく会ったりしているSさんとKさんに初めて会ったオフ会の時の事です。そのオフ会の終わりの頃だったでしょうか、SさんとKさんで「Kさんの家に行こう」なんて話をしていまして、その話を聞いた時になんか「面白そう」だなと思い、自分も行ってみたいと思いました。

それで話に乗る形で最終的にはKさんの家に行くことになったのですが、その時は別に終電になってしまい帰れなかったわけでもなく、そのまま家へ帰ろうと思えば何の問題もなく帰れました。

でも、帰らなかったのは何故だったのかと言えば、「面白そう」だと思ったからですし、自分が「面白そう」と思ったのに、それをみすみす逃す手はありません。

その時、SさんとKさんが私の事をどう考えていたのか分かりませんが、自分が良さそうだなと思ったことを実際に行動に移したわけです。

そして、Kさんの家に行った時のことがきっかけとなりその後の付き合いが始まりました。多分。

もしその時にKさんの家へ行っていなければ、オフ会以外でも会うというその後の関係は恐らくなかったのではないかと思っています。

そう思うからこそSさんとKさんに初めて会った時に、自分が思ったように、自分にとって良いように行動していて良かったと思います。

そんな過去のお話。



今日の問題

瑠璃(るり


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