2/2

「物欲が先か金が先か」

欲しいものがあってそれを買うためにお金を貯めるという事はよくあると思うのですが、考えてみると私の場合そのような経験があまりないような気がします。

確かに今まで様々な物を欲しがりそれを買ってはいるのですが、自分の財政に対してそれ相応とでも言うのか、自分が持っているお金のある範囲で欲しい物を買ってきたように思います。

それは「○○が欲しい!」と思ってお金を貯めるのではなくて、お金がある(思いも寄らない臨時収入が入ったりして)から○○を買おうだとか○○を買おうと思った時に自分の持っているお金の範囲内だから買おうだとかそのような感覚です。

何でこんな感覚なのか自分なりに考えてみると、基本的に現状に満足する(してしまう)のだと思います。だから、何か新しい物を買う事によってそれ以上に快適な生活が送れるにしても今のままで充分と思ってしまって、新しい物に手を出さなかったりするのでしょう。

物欲が先か金が先かときかれたら、恐らく金が先なのだろうなと思います。

…以上、自己完結文でした。



今日の問題

我孫子(あびこ


2/3

「爪割れる」

風呂上りに足の爪を切っていたら、何やら右足の親指の爪の横の部分が白くなっていたのでちょっとさわって見た所、白くなってる所が割れていました。

白くなっている部分は剥がれるので、このまま放置しておいたら更に悪化しそうなのでとりあえず切りました。

切っても痛くはないのですが、ただ思いっきり(横から)深爪をしている状態なので、それを見たら何だか気になって仕方ありません。こういうのは意識しないようにしないようにとすると却って意識してしまうもので、なんとも言えない感じです。

とりあえず、痛くならないと良いなと思います。



今日の問題

鵜(


2/4

「お金を拾う」

エスカレーターの降り口の所で何となく下を見てみたら、何か落ちていたので拾ってみたら10円でした。拾った時にふと、良くお金を拾っているような気がしたので家で調べてみたら16ヶ月で13回拾っていました。

この16ヶ月と13と言う数字、どこから来ているのかと言うと、私のつけている小遣い帳のような家計簿のような出納帳もどきのような、まあとにかく金の出入りを書いたノートがあり、そこからきています。

それをつけ始めたのが16ヶ月ぐらい前というわけでして、ご丁寧に拾ったお金の事も書いていたので調べられたというわけです。

月数と回数の比率から考えて結構お金を拾っているのではないかと思うのですが、「金はどこかにおちてね〜が〜」といつも鬼のような形相をしつつ、いつも下を向いて必死になって探しているというわけではないのです。

ふと目をやるとそこにたまたまお金が落ちていたというぐらいものでして、普段意識しているわけではないのです。それにも関わらず何でか良くお金を拾うので、何とも不思議な感じがしています。

拾う場所はさまざまで、それはゲームセンターであったり、駅であったり、ボウリング場であったり、銭湯あったり、海岸であったり、雀荘であったり、公園であったり、道端であったり、学生食堂であったり、郵便局内であったり、ヨドバシカメラの階段であったりします。

私が今までに拾ったお金というのは他の人が拾っていてもおかしくないわけで、それなのに私が良くお金を拾っているのを考えると、自分の事ながらめざといなと思います。



今日の問題

螺旋(らせん


2/5

「サイクリング」

ふと気が付けば免許を取得してからもう3年が経っていて、初めての免許更新のために試験場まで行って来ました。

実際に行って来たのは昨日で、家を出たのは午後1時半ぐらいでした。家から試験場までは自転車で1時間ぐらいで、受け付け時間は午前8時半〜午後3時までと書いてあったので、これなら大丈夫だろうと思い行って来ました。

試験場についたのが2時半ぐらいで、さて、受付を済まそうかなと思ったら・・・・・・受付はもう終了していますの文字が。

えっ。

よくよく見ると、受け付け時間が午後3時までなのは一般で、違反・初回の受け付けは午後2時まででした。ぎゃふん。

受け付け時間が2時までだったという事は、出た時間からして既に間に合いようもなかったという事です。そんなわけで約2時間サイクリングをしてきました。



今日の問題

烏(からす


2/6

「今日も今日とてサイクリング」

池袋に3時間投げ放題で1500円(10時〜13時)というボウリング場がありまして、今日はそこへ自転車で行ってみようと思い片道1時間ぐらいかけて行ってきました。受け付けに行きました。フリータイム(投げ放題のこと)は満員でした。ぎゃふん。

今回行くのは2度目だったのですが、前回初めて行った時は問題なくできたわけですよ。だから、今回も大丈夫だろうと思ったら無理でした。着いたのが10時半ぐらいだったのですが、どうやら遅かったようです。確かに、土日は早くに行って並ばないといけないという話は聞いていたけど、平日の昼間でこれほど混んでるとは思いませんでした。

まあそんなこんなで、そこでボウリングする事なく早々に帰り、近場のボウリング場へ行ってきました。結果は散々でした。

次回池袋へ行く時は、もっと早く行こうと思います。



今日の問題

啄木鳥(きつつき


2/7

「2日連続で池袋」

事情により2日連続で池袋へ行く事になったのですが、昨日は昨日で自転車で移動したり、電車で移動したり、歩いて移動したりと、様々な手段で移動して軽く疲れました。

今回池袋駅周辺を歩いたのですが、それで初めて駅の出口の位置関係がおぼろげながらわかりました。今まで池袋へ何度か行った事はあるのですが、その都度あちこちの出口から出ていたために個々の出口は認識していたものの、それらがどのように繋がっているのかというのは全く知らなかったわけです。

しかし今回駅周辺を歩いたので、少しは池袋の駅についての情報が増えました。

駅についての情報は増えたものの、駅周辺に立ち並んでいるビルやら何やらの光景がどうにも似たような感じがして、どうにも区別がつきにくいような気がします。単にその土地に慣れていないだけなのかな。



今日の問題

五月雨(さみだれ


2/9

「麻雀」

昨日、麻雀をやりました。国士無双をあがりました。



今日の問題

金槌(かなづち


2/9(その2)

「予定」

予定を整理したら、どうやら今週は毎日何かしらの予定が入ってる模様です。えーと、今春休みだよね。


2/18

「人を思いやるという事」

人を思いやるという事とはどういう事なのでしょうか。

自分がされては嫌な事をしない事なのでしょうか? では、自分がされても良い事は相手にしても良いのでしょうか?

自分のやりたい事でも相手が嫌がったら、自分のやりたい事は諦める事なのでしょうか? では、自分のやりたい事でも相手が嫌がったら全て諦めないといけないのでしょうか?

自分というものを捨てて全て相手に合わせる事なのでしょうか? では、そこに自分が居る意味はあるのでしょうか?

自分で相手の気持ちを汲み取る事なのでしょうか? では、気持ちを汲み取ってる”つもり”なだけだったらどうなのでしょうか?

人を思いやるという事はどういう事なのでしょう。



今日の問題

提灯(ちょうちん


2/18(その2)

「更新報告」

文殊ざつぶん処が更新されたらしいですよ、奥さん。


2/18(その3)

「麻雀」

前回麻雀やった時に続き、また役満に振り込んだ友人は厄年ではないかと思いました。


2/21

「なぜなのだろう」

マイボールを持ち始めてから早数ヶ月。そこそこのゲーム数もこなし、マイボールの扱いにも慣れてきているはずなのに何故かスコアが低下中。

ハウスボール(店に置いてあるボールの事)を投げていた頃は、調子の良い時でアベレージが150だとか160だとかいっていたのに、今は調子が良くても140前後。明らかにスコアが低下しています。

まあ、足の踏み出し方を今までとは違うものにしてみたり、投げ方を今までとは違うものにしたりと色々と試しているせいもあるのかもしれません。これらの変更は投げ方の改善となっているはずなのです。

それにも関わらず、いつまで経ってもスコアが上昇しないようでは困ります。ボウリングの上達手段の1つであるはずのマイボールを持って下手になりましたと言ったら、立場がない。

これはまだまだマイボールでの練習が必要という事なのでしょうか。なのでしょうか。そうなのですか。アベレージにしろハイスコアにしろ、ハウスボールで出していた以上のものを出したいものです。



今日の問題

鐙(あぶみ


2/23

「情報に押しつぶされる」

ふと今までのボウリングのスコアのデータをまとめてみようと思いやり始めた所、次から次に色々な形でまとめてみようという気が出てきたのですが、データがありすぎて困っています。

どのくらいあるかと言うと300ゲーム以上の記録があり、これをまとめようとすると物凄く時間がかかるのは明らかに目に見えています。それにも関わらず、こういった事は1度やる気が出ると、どうにも一気に全てをやらないと気が済まなくなってきてしまうのです。

そんなわけで、如何にやる気を抑えてほどほどの所で終わらせる事が出来るか、それを考えたいと思います。



今日の問題

手綱(たづな


2/25

「高層ビル」

今日たまたま地上26階から周りを見渡す機会があったのですが、滅多に見晴らしの良い所なんて行かないので、まずはその見晴らしの良さに感嘆しました。

その後あちこち眺めていてふと考えたのが、人の力というものについてです。26階から見える今の光景は、住宅が密集していて、道路がアスファルトで整備されて、人々がせわしなく動いていて、それがずっと向こうまで広がっているというものです。このような光景は今でこそ当たり前となってしまっている光景なのでしょう。

しかし、数十年前これは一体どのようなものだったのかを考えてみると、かなり違っていたはずです。道路は舗装されておらず、住宅も密集しておらず、多くの土地が畑というような状況だったのではないでしょうか。

それを考えると、数十年の間で光景を一変させてしまう人の力にただただ驚くのです。皆が今のような状況にするのを目標にしていたわけでもないですし、1人1人のしている事は大したことがないのかもしれませんが、その結果を見せつけられるとやはり凄いなと思います。

自然の力は脅威だなんて言いますが、人の力も充分脅威だと思います。



今日の問題

人参(にんじん


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