「昼間に止められる」 自転車に乗っていたら止められました。警官に。しかも昼間。 自転車で走っていたら前方に見える交番の前に警官が立っていて、キョロキョロと何やら怪しい動きをしているのです。 これを見て、何だか止められそうな嫌な予感がしました。だから、交番の手前にある角の所を曲がって回避しようとも思いましたが、そのまま真っ直ぐ行って通り過ぎる事にしました。そしたら案の定止められた。 こっちが止められそうだなと思っている一方で、警官の方もきっと「こいつは止めてみよう」と思っていたに違いない。警官と無駄に以心伝心。 それで無灯火の場合同様、自転車の登録番号を調べられました。この時の一連の受け答えは慣れているのでちゃっちゃと答え、ほどなくして確認終了。当然のことながら自分の自転車に乗っているので何の問題もありません。 その後、交番を背に自転車をこぎつつ、回避しておけば良かったなと思いました。 今日の問題 南瓜(かぼちゃ) |
「事実を事実として捉える」 例えば、ボディシャンプーをシャンプーと間違えてしばらくの間使っていたことや、電車に乗っている時扉際に立ちつつ切符を持っていたら、扉が開いている時にちょっとした拍子で切符が手を離れ狙いすましたかのように駅と電車の間に落ちてどうしようもなくなったことや、電車の扉が閉まり始めた時に電車に乗ろうとして扉に容赦なくはさまれている人が居たことを面白おかしく書くことが出来るなら、ここを読んでくれる人を少しは楽しませることができるのだろうか。 事実を事実としてだけ述べると、どうにもそこには面白みも何もないような気がする。自分の場合、事実を事実としてしか捉えないことがしばしばあると思う。 今日の問題 冬瓜(とうがん) |
「あまりに世界は広すぎる」 今まで20年以上生きてきて、関わったものたちは果たしてどの程度のものなのだろうと思う。店にしろ、友人にしろ、読書にしろ、映画にしろ、趣味にしろ、何でもいい。 自分の住んでいる町にどれだけの店があるか知っているだろうか。飲食店1つとってみても、どれだけの店を訪れたことがあるだろうか。 今まで関わりのある同世代の人だけで考えてみて、友人と思えるのは果たして何人居るだろうか。かつて関わりのあった人達が今どこで何をしているか知っているだろうか。 どこかの図書館の本棚一段に収まっている小説の全て読んだことがあるだろうか。それらを全て知っているのだろうか。 自分の知っていることを考えてみるに、あまりに少ない気がする。それと同時に考えることはあまりに世界は広すぎる。 この広すぎる世界で、果たしてどれだけの広さを持つことができるのだろう。 今日の問題 胡瓜(きゅうり) |
「記憶のいい加減さ」 この間、面識がないに等しい2人とすれ違った。 1人は高校の頃同じ学年だったけど話したこともない人で、もう1人はほとんど面識のない中学の頃の1つ学年の下の人。 自分にとっては本当何の関係もなく、相手はこちらのことなんて知らないだろうと思うぐらいなのに、何故か見た瞬間に名前が思い浮かびました。その2人の名前を覚えていることは自分にとって重要なことでも何でもないはずなのですけどね。 その一方で久しぶりに会う同じサークルの人の名前がとっさに出てこなかったりすることがあります。と、どうしてそうなるのかと疑問を抱かずにはいられません。 同じサークルの人の名前の方が重要度は高いはずなのに、何故か重要度の低いことの方がはっきりと覚えているというのは、何とも不思議な所だと思います。大切なことや重要なことだけを覚えていても良さそうなものですけどね。 今日の問題 胡座(あぐら) |
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