「思い立ったが吉日」 「思い立ったが吉日」なんて言葉がある通り、何とはなしに 新たなサイトでも作ろうかと思いトップページを作り始め、構成考えて、 色々とやっている内に完成したこのサイト。 サイトを作ろうと燃えて作ったわけでもなしに、 ほどほどのやる気を持続させつつ、長くやっていけたら良いなと思ってます。 そんなわけで、皆さんよろしくお願いします。 表題にある「思い立ったが吉日」ですが、皆さん吉日はどう読みました? きちじつですか? それとも きちびですか? 実はどちらも正解なんです。昔はきちびと読まれていたのが、 時の流れと共にきちじつに変わったそうです。 以前、塾に通っていた時国語の講師から聞いた話し。 初日にいきなり最初の文章を載せてみました。 「表現」 例えば本を読んだり、テレビを見たり、どこかのサイトを見たり・・・ 時に感想や意見などを求められる事がある。 よく「○○はどうだった?」なんて聞かれるが、 こういう時は「良かった」とか「悪かった」とか 割と簡単な言い方で答える。 しかし、次に「具体的に何が良かった(悪かった)?」 などと聞かれると 途端に言葉に詰まってしまう。 どうにも自分の感じた事を上手く説明できない事が良くある。 これは人の事を言い表す時にも良く見られる。 友達に友達の知らない誰かを紹介ないし説明する時に、 「○○さんってどういう人なの?」 こう聞かれるともう言葉が続かなくなってしまう。 この質問は上に書いた状況なら不自然な質問ではなく、 むしろ当たり前の質問だろう。 人を見た時にそこから何も感じない人なんて居ないはずで、 必ず何かしらを感じているはずだけど、 その「何か」を中々伝えられない。 上手く答える事ができないどうしてか。 それは自分が感じたものを相手に説明するだけの表現力がないだけなのか、 はたまた、自分が感じたものを表現するにふさわしい言葉がないのか、 どちらと言えば恐らく前者だろう。 言い表せない事は、時として非常に歯痒い思いをさせられる。 物凄く良いものや、尊敬に値するような人に巡り合い、 その事を他の人に説明する場合などが正にそれだ。 巡り会ったその時に感じたものなど、 自分の中では漠然としたり曖昧だったりするけど 確かにそこには感じ取った何かがあるのに いざ言葉で表現しようとするとどうしても言葉が見つからない。 困り果てた末に言うのは「実際に見てみればわかる」と言うのと、 「絶対に良いから」と言うぐらい。 あぁ、違うんだって。本当はもっと言いたいんだって。 如何に良いかを言いたいんだって。 悔しがるものの、結局の所どうにもできない。 そんなわけで、表現する力を身につけたいと思ってます。 |
「4月半ば」 本日の服装。Tシャツ一枚とジーンズ。 ・・・えっと今は4月だよね? |
「勘違い」 昔、「飽くまで」を「悪魔で」と思ってました。 ・・・こういう勘違いってしませんでしたか? 「指摘」 友人にアドレスを教えた所、早速突っ込みをいれられました。 カウンターを付けようよって。 さっぱりしているとも言ってましたが、何か物足りないと言われました。 言われてみれば、なるほど何か物足りない感じがするけれど、 何が足りないのか良く分からない。 友人も何が物足りないのかは分からないようで。 一体何が足りないのだろう・・・? |
「分かった事」 インターネットの世界に関わり始め、分かった事は長い文を書くのが苦手と言う事。 例えば日記を書くにしても、掲示板での返事を書くにしても、 いざ文章を書こうとすると途端に思考回路停止。 どう書こうか、何を書こうか。うーん、うーんと悩んでみるものの文章が出てこない。 日記なら短文でも良いのだが、掲示板の返事まで短文になってしまう。 時間をかけて出来たものは、短く淡々としたもので、自分でもどうかと思う内容。 如何にも事務的なそんな感じのする文章がしばしば。 もっと違う書き方が出来たら良いな。そんな風に思う自分のレス。 |
「予定外」 雑文のつもりで書いたものが、自分の中で文章として良い出来になったので、予定変更で文章の方に入れておきます。 ってわけで、予定外の第2回の文章をどうぞ。 「数年後」 一体数十年後友達とはどんな関係になっているのだろう。ふとそんな事を考える。 大学生になってからと言うもの、徐々にではあるけど 各々の道へ進んで行ってる感が強くなってきた。 高校までは、まだ皆同じ学校に通い、 色々な事をして遊び楽しい日々を過ごしてきた。 しかしそれも今は段々と昔の話になってきている。 ある者は就職をし、ある者は大学へ行き、ある者は専門学校へ行き・・・ 少しずつではあるが、距離が遠ざかって行ってるようなそんな気がする。 高校生の時まであった一体感のようなものは薄れつつある。 自分の道を進むのが悪いわけではない。 ただ、それによってばらばらになってしまうのが凄く不安なのである。 各々の道へ進む以上、ばらばらになってしまうのが 当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。 けれど、出来る事なら今と変わらぬ関係を維持していきたい。 たまに会って、話をして、楽しい時間を過ごす。 本当、これだけで良いんだ。 これだけで良いから、これが数年、数十年経ってもなお続ける事が出来たなら、 それは幸せな事だと思うし、続けていきたい。 今、切実にそう思う。 |
「わーい」 今日アウトルックエクスプレスを起動してメールをチェックしてみた所、今までに見た事もない事に!! 1日経たずして55通もメールが来てました。 全て広告メールで43通が同じ所からのメールでしたが何か? |
「帰り道」 学校から駅へ歩いている時の事、道で話をしている女性が2人。見るとどうやら両方共主婦のようで、察する所ご近所の仲の良い人同士と言った所か。年齢は見た目30代半ばから40代前半ぐらい。そんな2人の会話。 A「〜〜〜〜〜〜」 B「本当に?」 A「〜〜〜〜〜〜」 B「へぇ〜、本当」 A「〜〜〜〜〜〜」 Aの発言はどんな事を言ってたか忘れてしまったので省略。そして、Bも「本当」と言う単語をずっと繰り返していたわけでもなく、部分的に「本当」が続いた所を抜粋しただけです。 さて、2人のこんなやりとりを聞いてふと思った事がある。今の若い人達がそのまま年を取ったらどうなるか。 A「〜〜〜〜〜」 B「まじで?」 A「〜〜〜〜〜」 B「へぇ〜、まじ」 A「〜〜〜〜〜」 ・・・どうにもこれには馴染めない気がする。 |
「代償」 パソコンを買い、インターネットに接続し始めた頃の話し。 今でこそ常時接続と言う環境なのですが、常時接続がまだ今ほど普及しておらず、インターネットへ接続するサービスと言えばテレホーダイが主流だった時です。テレホーダイに加入し夜11時になると繋ぐか後は昼間にちょこちょこと繋ぐと言う事をしてました。 その頃は、インターネットに接続する事が楽しみで楽しみで仕方がないと言った感じで、それはもう繋ぐだけで喜んでいたものです。やがて時が経ち、インターネット接続サービスも充実し始めた頃に常時接続になりました。 無論、常時接続になった事は嬉しかったし良かったのですが、それと代償に失うものがありました。それはインターネットに接続した時の喜び。ワクワクしたりドキドキしたりと、接続するだけでもう楽しみで楽しみで仕方なかったのがなくなり、繋げて当然と言うようになってしまったのです。 環境が良くなり便利になった反面、その頃あった興奮を味わう事はなく、それが今の環境を得た代償だったのかなとふと思います。 |
「後10分」 これを書いている今現在、学校へ行くために家を出るまで後10分。何とはなしに制限をつけてみました。実は既に書き始めから急いでたりします。 あぁ、残り7分になってる!? どうしようどうしようどうしよう。そんな風に書く必要ないだろうって?書こうと思ったから書いてるのさ。いや〜そんな事を言ってる間に又1分経ってる。急げ急げ急げ。まだ何も中身を書いてないよ! さて、今回は時間について書いてみようと思います。と澄まして言ってみたり。どうしようもなく焦っていると言うのは別の話。って別の話しカヨ!! そうこうしてる内に後3分・・・ そろそろアップして、パソコンの電源切って学校へ行かなくては!!えっ、サボれば良いって?そうも行かないんですよ。 あぁ、残り2分! それでは行って来ます。残り0日 |
4/30
「繰り返される言葉」 学校へ行くために電車に乗っている最中、普段は本を読んでいるのだけど、今日は読む本がなく何もする事がなかったのでボーっとしていた所、何やら話し声が聞こえてきたんですね。 ふと声のしてきた方に目をやると、同世代ぐらいの人が2人喋っていたので、何とはなしにその会話の方に耳を傾けてみました。 話しを訊いていると、他愛のない話だったのですが、その中で相槌を打つ時に何度となく出てきた単語がありました。「マジで」と言うもの。 余りに頻繁に出てくるので、回数を数えてみると6分間に12回!平均して1分間に2回と言うわけです。更に、最初の1分間は4回ですよ、4回。25秒に1回は「マジで」と言ってるわけです。 「はい」とか「うん」とか「そうだね」とか、相槌を打つ時などに使われる聞き慣れた言葉なら大して違和感を感じないのだろうけど、新しく出てきた言葉であるだけに、繰り返し使われるとかなり違和感を覚えました。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||